ドメーヌ・プティ・ロワ / アルテス 2021 [6696]
商品詳細
DOMAINE PETIT-ROY / BOURGOGNE ALIGOTE 2021
フランス ブルゴーニュ
品種:アルテス
ナチュラル
ビオディナミ
(以下 インポーター資料より)
山間部の南西向きで日照量に優れる区画で育つブドウをプレス後、木樽で発酵・熟成後、ステンレスタンクでさらに熟成させました。
クリアなグリーンイエローの外観、ライムやグレープフルーツ、ディル、セルフィーユの爽快な香りを感じます。
シャープでキリッとした酸味がアタックにあり、旨味が詰まった味わいが後半までしっかりと続きます。
ドメーヌ・プティ・ロワについて:
2017年に斉藤政一氏がブルゴーニュ/ショレイレボーヌで立ち上げたドメーヌ・プティ・ロワ。
1982年中国生まれ。
幼少期は中国北部で育ち11歳で日本へ帰国。
東京農工大在学中に、砂漠化の分析で中国を訪問した時、現地でぶどう栽培がおこなわれていたのを見て
ワインに興味を持ちます。
砂漠化という環境問題は経済と密接な関係を持っており、ただ緑化するだけでは根本的な問題解決にはならない事、そしてその土地に合った作物、なおかつ経済効果のある作物を植えて育てていかないと継続的な取り組みができないと感じた事。
中国訪問をきっかけとして「ワイン用のぶどう栽培」が、砂漠化問題解決にぴったりと合致している、糸口になりうるとの考えにいたります。
ぶどうは水分ストレスに強く、しかも原料を加工することによって付加価値が上がるため、緑化と経済効果をもたらす作物だからです。
この経験と考えが知らず知らずのうちに彼の人生を決定づけます。
ワイン作りをもっと知りたいと思うようになった彼は、在学中から日本のワイナリーを廻るようになります。
そしてその後、長野県の小布施ワイナリーで研修を開始、自然に本場のワイン作りを見たいという欲望が湧いてきます。
2006年に渡仏。
ブルゴーニュで本格的にワイン作りの勉強を開始すると同時に、著名なワイナリーでぶどう栽培と醸造の仕事の経験を積み始めます。
(シモン・ビーズ、ジャック‐フレデリック・ミュニエ、アルマン・ルソー、リュイ・シェニュ)
ワインの魅力にのめり込む彼がいつしか自分自身のワインを作りたいという夢を抱くようになるのもこれも自然の流れです。
彼の真骨頂は、ここで焦らずにじっくりと経験と準備を積み上げ始めたこと。
技術、知識、経験、資金を蓄え現地での人間関係を広げ、自らのポテンシャルを高めていきます。
ワインの勉強、仕事以外に、ボーヌに『ラ・リュンヌ』という和食店を立ち上げ、さらにはワイン機材の輸出を手掛ける等、自らがオーナーとなるビジネスも合わせて手掛け、栽培と醸造の仕事をしながらいつか自分のドメーヌをと2足3足のわらじをはき続けます。
その努力は身を結ぶまでに10年の時がかかります。
まずは2016年にネゴシアンの「メゾン・プティ・ロワ」を立ち上げます。
そして遂に! 2017年に「ドメーヌ・プティ・ロワ」を立ち上げ、自社畑をもち、ショレイ・レ・ボーヌの現在の場所へ引っ越しをします。
地下のカーヴを整え、隣接してる古い建物を工事して住居とし、現在は奥様、娘さん2人の家族4人で新たな生活をはじめております。
オート・コート・ド・ボーヌに1.2haの土地を借り、そこには0.8haのピノノワールが植わっております。
他に、ポマール村に1haのピノノワール、サヴィニー近郊に0.2haのアリゴテ、0.1haのシャルドネの畑があります。
最終的にはブルゴーニュで4 ~ 6haのぶどう畑を持ちたいという目標を持っていますが、現在は合計2.5haの土地をもち(借り)、2.1haの畑でブドウを栽培しております。
11歳で日本へ、22歳でフランスへ、33歳という若さでブルゴーニュでドメーヌを立ち上げた斎藤氏。
『11年というサイクルで新たな挑戦が回ってくる人生なんですよね』としみじみ語ります。
次の11年を迎える44歳になった時の彼が見てる風景は?そしてその時の新たな挑戦とは?大きな挑戦を続ける生産者とのお付き合いは紹介する側も興奮を隠せません。
どこか中性的で風をまとっているような爽やかで淀みない雰囲気の彼の人間性はワインにも本当に素直に表現されております。
「日本人がブルゴーニュでワイン造り」、そんな話題性よりもずっとワインが彼について如実に語ってくれます。
フランス ブルゴーニュ
品種:アルテス
ナチュラル
ビオディナミ
(以下 インポーター資料より)
山間部の南西向きで日照量に優れる区画で育つブドウをプレス後、木樽で発酵・熟成後、ステンレスタンクでさらに熟成させました。
クリアなグリーンイエローの外観、ライムやグレープフルーツ、ディル、セルフィーユの爽快な香りを感じます。
シャープでキリッとした酸味がアタックにあり、旨味が詰まった味わいが後半までしっかりと続きます。
ドメーヌ・プティ・ロワについて:
2017年に斉藤政一氏がブルゴーニュ/ショレイレボーヌで立ち上げたドメーヌ・プティ・ロワ。
1982年中国生まれ。
幼少期は中国北部で育ち11歳で日本へ帰国。
東京農工大在学中に、砂漠化の分析で中国を訪問した時、現地でぶどう栽培がおこなわれていたのを見て
ワインに興味を持ちます。
砂漠化という環境問題は経済と密接な関係を持っており、ただ緑化するだけでは根本的な問題解決にはならない事、そしてその土地に合った作物、なおかつ経済効果のある作物を植えて育てていかないと継続的な取り組みができないと感じた事。
中国訪問をきっかけとして「ワイン用のぶどう栽培」が、砂漠化問題解決にぴったりと合致している、糸口になりうるとの考えにいたります。
ぶどうは水分ストレスに強く、しかも原料を加工することによって付加価値が上がるため、緑化と経済効果をもたらす作物だからです。
この経験と考えが知らず知らずのうちに彼の人生を決定づけます。
ワイン作りをもっと知りたいと思うようになった彼は、在学中から日本のワイナリーを廻るようになります。
そしてその後、長野県の小布施ワイナリーで研修を開始、自然に本場のワイン作りを見たいという欲望が湧いてきます。
2006年に渡仏。
ブルゴーニュで本格的にワイン作りの勉強を開始すると同時に、著名なワイナリーでぶどう栽培と醸造の仕事の経験を積み始めます。
(シモン・ビーズ、ジャック‐フレデリック・ミュニエ、アルマン・ルソー、リュイ・シェニュ)
ワインの魅力にのめり込む彼がいつしか自分自身のワインを作りたいという夢を抱くようになるのもこれも自然の流れです。
彼の真骨頂は、ここで焦らずにじっくりと経験と準備を積み上げ始めたこと。
技術、知識、経験、資金を蓄え現地での人間関係を広げ、自らのポテンシャルを高めていきます。
ワインの勉強、仕事以外に、ボーヌに『ラ・リュンヌ』という和食店を立ち上げ、さらにはワイン機材の輸出を手掛ける等、自らがオーナーとなるビジネスも合わせて手掛け、栽培と醸造の仕事をしながらいつか自分のドメーヌをと2足3足のわらじをはき続けます。
その努力は身を結ぶまでに10年の時がかかります。
まずは2016年にネゴシアンの「メゾン・プティ・ロワ」を立ち上げます。
そして遂に! 2017年に「ドメーヌ・プティ・ロワ」を立ち上げ、自社畑をもち、ショレイ・レ・ボーヌの現在の場所へ引っ越しをします。
地下のカーヴを整え、隣接してる古い建物を工事して住居とし、現在は奥様、娘さん2人の家族4人で新たな生活をはじめております。
オート・コート・ド・ボーヌに1.2haの土地を借り、そこには0.8haのピノノワールが植わっております。
他に、ポマール村に1haのピノノワール、サヴィニー近郊に0.2haのアリゴテ、0.1haのシャルドネの畑があります。
最終的にはブルゴーニュで4 ~ 6haのぶどう畑を持ちたいという目標を持っていますが、現在は合計2.5haの土地をもち(借り)、2.1haの畑でブドウを栽培しております。
11歳で日本へ、22歳でフランスへ、33歳という若さでブルゴーニュでドメーヌを立ち上げた斎藤氏。
『11年というサイクルで新たな挑戦が回ってくる人生なんですよね』としみじみ語ります。
次の11年を迎える44歳になった時の彼が見てる風景は?そしてその時の新たな挑戦とは?大きな挑戦を続ける生産者とのお付き合いは紹介する側も興奮を隠せません。
どこか中性的で風をまとっているような爽やかで淀みない雰囲気の彼の人間性はワインにも本当に素直に表現されております。
「日本人がブルゴーニュでワイン造り」、そんな話題性よりもずっとワインが彼について如実に語ってくれます。